埼玉県健康管理士会 会員 簗場 隆
■ボランティア期間
4月29日~5月7日
■場所
石巻市
■ボランティア内容
・ヘドロかき清掃(石巻駅近辺)
・1週間分の食料は持参、風呂なし
・宿泊場所は現場より30分ぐらいはなれたキャンプ場(水・仮設トイレの
みあり)
■年齢構成
・今回のボランティアで約350名ほどの人が石巻にいきました。
社会人の方が多く、会社を休んで参加した人もいました。
30代、40代の方が多く、50代方も多数いたかと思います。
全体的に平均年齢はかなり高いほうだと思います。
これはわたくしの見た限りでありますが、20代の学生は少なく、また全
体の割合として20代は3割ぐらいだったかとおもいます。
Q:今回、ボランティア活動を行なおうとした理由を1つ挙げるとしたら?
A:今回の震災は全く他人事のようにはおもえませんでした。そのため、連日、ずっとテレビをみてその被害状況をみていました。最初は個人的に行こうと行動を起こしましが、ガソリンの問題でいけませんでした。でもなんとか行きたいと思い、そんなときにボランティア募集というのがあったので、迷わず参加しました。
Q:ボランティアを実行するための最初のアクションは?
A:ボランティア団体主催の説明会への参加。
ボランティア団体によっては説明会が強制的ではないが、私が参加したピースボードのボランティアは必ず説明会への出席が義務づけられていました。これにより、実際に被災地での現状がどうなっているのかという様子を説明会で見せて頂きました。さらに、現地に行って実際に行うことを写真。映像等で見せてくれたので何をしに被災地にいくかが明確になりました。
想像以上に厳しい内容のことをやるため、この説明会を聞いた後に現地に行くのをやめて、東京でできるボランティアに参加変更する方もいました。
Q:最初に現地(被災地)を見た時、何を感じましたか?
A:まず、バス内で初めて被災地に入った時はテレビでみる以上に被災状況はすごかった印象です。がれきの山が広範囲にどこまでも続いていました。バスから降りたときはまずにおいが印象的でした。魚の腐ったようなにおいが町全体を覆っていました。
また、ヘドロが乾いていたためか、風が吹いたら町中砂埃がたったかのようなになる時があった。1週間のボランティア終了後、東京に帰ってきてから、尋常じゃないほどの量の痰が4日間ぐらい連続してでたほどである。健康管理士的にいえば、この痰はからだの免疫がほこりと戦ってくれたあとに残った異物(痰)だと思います。
Q:被災をされた方からメッセージを預かってこられたと聞きましたが?
A:原発のある女川町の被災者の方から女川の町の被災状況をぜひみてくれと言われたので、マイクロバスでその現場まで行きました。そこでの光景は町全体が津波に飲み込まれており、焼け野原という感じでした。4階建てぐらいのビルのうえに車が上がっていたりなど、津波の高さが分かる光景も目にしました。女川町の人口は約8千から9千人。そのうちの半分が津波で亡くなったり、行方不明になったとのことです。
以下、被災者の方のメッセージを抜粋。
①「津波が来たら親も子も関係なく逃げること。今回の亡くなった方は親がまだ家にいるとかお金がまだ家にあるとか、そういった理由で戻った人がたくさん犠牲にあってしまった。」
②ここで見てきた被災状況を東京に帰ったら必ず伝えていってほしい。そして次の世代にもこの光景や状況を伝えていき、津波での人災を0にしていかなければならない。
女川町の被災状況を見せていただいているときに、下記のようなことを述べてくれました。(一部抜粋)
「今回のこの被害は余震の被害である。本震は2日前である。その時も津波警報がでたが、ちょっとした変動でこの避難所には来なかった。しかし、それが悲劇の始まりだった。まさかここまでこないだろうと避難所にて油断をしていたため、余震での津波にこの女川の町は全部飲み込まれてしまった。
みなさんにはこの津波の惨劇をぜひ次世代に伝えていってもらいたい。
そうすれば少なからず、救われる命もある。そして将来の日本において、惨劇はあるが人災はゼロの日本にしていってもらいたい。この被害をみたみなさんには必ずこの光景を東京に戻ったら伝えていってもらいたいです。約束してください」
(何もない焼け野原のような光景をみて、ボランティアメンバーは皆呆然とその被害をみる。それまでは石巻の中でもわりかし被災状況をみていたが、女川町の町全体が飲み込まれた被害の大きさに少しの場所のちがいでこんなにも被害状況が異なるのかと行った具合で、全員息をのんで、呆然とたちつくすしかなかった。)
添付した写真はこのメッセージをいただいているときにみていた女川町の光景。
Q:今後も東北の被災地でボランティア活動をしたいと思っていますか?
A:もちろん活動していきます。日々、町が復興していく様子をこの目で見ていきたいし、なんでも良いから少しでも被災者の方から笑顔がみれるように力になりたい。
Q:最後に簗場さんからのメッセージは、何かありますか?
A:震災後100日以上が経ちましたが、被災地ではまだまだボランティアを必要としているかと思います。一概には言えませんが、私の個人の意見としては、ボランティアに参加するなら個人ではなく、ボランティア団体に参加していったほうが良いかと思います。理由としては、やはり現場を知っているものがいれば、仕事の流れがわかっているので的確な指示のもと、少ないボランティアの時間を有効に使えるのではないかと思うからです。
ぜひともお時間がある人は東北に行ってもらいたいとおもっております。実際に被災地に行くことでしか感じられないことはたくさんあります。そして、その見てきたものを帰ってきてから周りの人に伝えていくことでこの震災の被害を風化させないようにしていけるものだと考えております。
そしてそれを次の世代にも伝えていき、少しでも未来に向けて安心・安全な日本を作れるようになっていければと思います。
少しでも被災地の力になりたいとおもっている方は一歩踏み出して、行動を起こしていってくれることを願っております。
みんなで東北を元気にしていきましょう!!